価格改定のご案内(2025年03月01日より)

平素より弊社商品をご愛顧いただき誠にありがとうございます。
誠に申し訳ないご案内ではございますが、2025年03月01日より弊社ウェブサイトでの販売商品につきまして販売価格の改定を実施させていただきます。

ガラス瓶・樹脂材料等の資源価格に加え、人件費を含む物流費等の価格上昇により様々な物価の継続的な向上が続いております。
また昨今の天候不順が農作物へもたらしている影響は大きく、不安定になってしまった作柄に立ち向かう一次産業者皆様の将来への不安はそのまま私ども食品加工業者のものでもございます。
このような情勢に対して弊社内においても調達価格を上昇させながら、それを打ち消せるよう製造工程における合理化やコストの削減に努めてまいりましたが、単一企業の努力のみでは製品価格の維持が困難な状況を迎えてしまいました。

つきましては、下記製品につきまして2025年03月01日より価格改定をさせていただきたくご案内申し上げます。

弊社の力不足により皆様にもお頼りすることとなり大変恐縮ですが、それに伴いますよう今後も品質の維持と向上ならびに原料産地の形成と充実に努めていく所存でございます。
何卒ご理解を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

【対象製品】
ゆずこしょう 青・赤 50g 瓶・箱入
ゆずこしょう 青・赤 100g チューブスタンドパック
ゆずこしょう 青・赤 250g 瓶
ゆずこしょう 青・赤 250g チューブスタンドパック
ゆずこしょう 青・赤 500g 瓶
ゆずこしょう 青・赤 500g チューブスタンドパック
ゆずこしょう 青・赤 1kg 袋
ゆずこしょう 青・赤 20g 袋

ゆずこしょう 黄 50g 瓶
ゆずこしょう 黄 100g チューブスタンドパック

ゆずこしょう 得々セット(10本)組合自由

竹下商店の古い写真をご提供いただきました

何かと資料に乏しい竹下商店なのですが、先日創業家の方から一辺の写真をご提供いただきました。
蟹漬や粕漬といった自社製品の歴史を調べている私たちにとって大きな手がかりとなる一枚です。

昭和15年ごろ
昭和15年ごろ

撮影場所は現敷地と同じようです。

三輪車に吊るしてある前掛けを見ますと、やはり主要な製品が有明海の恵みである「海茸の粕漬」「貝柱の粕漬」(これはタイラギのことでしょう)「かにづけ」であったことがうかがえます。
現在主要な製品となった「野菜粕漬」(はがくれ漬)についてはこれら原料事情の悪化から苦心の末に生まれたものであろうという推測を補強する史料です。

気になる点としては「(貝)柱味淋漬」の文字です。そんな製品があったことをはじめて知りました。
酒粕については川副町にあったいくつかの酒蔵からの調達だったと推測されますが、味淋は「味淋粕」だったのでしょうかそれともいわゆる「みりん」のことだったのでしょうか。

もしこういった食品や産業の歴史のことをご存じの方がおられましたらぜひインタビューさせてください。

竹下商店について現在史料的に分かっていることとして『川副町誌』665頁より引用させていただきます。
「ところで川副は有明海をのぞむ海産資源にめぐまれた地帯である。豊富な海産物とその加工業が大正七、八年ごろを景気としてにわかに伸展してきた。南川副の江頭亀市(明治三十二年生)、竹下伊作(明治三十七年生)、川原常次(明治三十八年生)らがその先駆者であった。いずれも有明海でとれる魚、貝類の仲買・小売業をやりながら、これら海産物を原料とした加工業に踏み切っている。当初は「がん漬」「あみ漬」「海茸」「わらすぼ」の類であったが、やがて「粕漬」「漬物類」に製品が多様化していった。もちろん当初はリヤカーや自転車による行商からはじまり、やがて特約小売店に卸すようになった。販路も平坦一円から県内一円。やがては鉄道輸送による県外出荷もはじまり、主要デパートとの特約もはじまった。しかしそこに至るには、前記先駆者らの血との努力があったのである。そして製造工程も当初の鍋・釜の段階から家内手工業に、そしてやがてボイラーや動力機械を駆使した工場的生産へと発展していった。それと同時にいずれも「江頭商店」「竹下商店」「川原食品」へと合名あるいは合資会社組織に発展していくのである。なお昭和七年に竹下商店から竹下八郎(大正四年生)が分離独立し「竹八商店」が設立された。」

この竹下伊作さんは、写真でいうと一番右端の男性だそうです。