蟹漬関連史料 翻刻(2) 馬渡多蔵書簡 図北08696 22-12069 (明治42年7月14日)

史料本体

「鬼丸北川家資料」
馬渡多蔵書簡 図北08696 22-12069

翻刻文

【封筒表】
石丸様 馬渡
 願用

【封筒裏】
(記載ナシ)

【本文】
拝啓 本日モ中々ノ
猛暑ニ御座候。如何御
凌き候哉。小生◇◇モ昨
今両日ハ只暑ヲ追
ケル◇風計リニ一日ヲ送リ
候。御承知ノ通、水町ノ急
変何時電報来ル
哉難計ノ今日ナレハ、
清水川上ニ避暑ニも
出掛ル能ハス当惑仕候。 
扨、此夜ハ又々御厄
介テニ村ヘモ蟹漬
ノ事御願申上候処、早
速御配神被下深謝
ニ堪ヘス、水町ノ嗜
好ハトニカラスノ極ノ張
リニテ蟹ノサキニニスルノヲ
切望ノ由ニ御座候間、右
御兄御配神被下候様
奉願上候。序ニ入江
モ切ニ注文申出居候間、
両家分蟹本便で
送り度積ニ御座候。
右御願申

其外ハ拝晤。頓首

 十四日  
    多蔵
石丸君

三木の素人読解

佐賀市赤松に住む石丸勝一氏と、9年前のやり取りによると東京都愛宕に住む馬渡多蔵氏のやり取り。
しかし続く書簡によってこの手紙の時点で馬渡氏はおそらく佐賀県佐賀市与賀町字辻ノ堂に引っ越しをしています。

手紙の内容は前回につづいて馬渡氏の弟・水町氏が話題があがりますが「水町ノ急変何時電報来ル哉難計ノ今日」との通りどうやら水町氏の体調が優れない様子。
そこでまた石丸氏に蟹漬をご厄介になりたい、東京に送ってくれないかというお手紙のようです。
新たな登場人物である入江氏からもついでに切に注文をいただいているとのこと。

所感

体調が優れないところに蟹漬。郷里の味で食欲を取り戻し快復を図らんとするところなのでしょうか。
それにしても水町氏の体調が心配です。
この7月14日のお手紙に17日、22日と続きます。いったいどうなってしまうのでしょうか。
記事の制作まで少々お待ちくださいませ。